【私のパソコン履歴書】草野貴之さん(ASAHIネット元社長) PC-6001からASAHIネット社長へ。技術への好奇心が人生を切り拓く

2026/3/12 RetroPC NEWS編集部

RetroPC NEWSでは、第一線で活躍されてきた皆さまが「どのようなコンピュータと出会い、どのように向き合い、そして現在に至ったのか」というお話を伺っています。
単なる機種紹介ではなく、その人の人生とコンピュータの関係を綴る「パソコン履歴書」という形で、伝えてまいります。コンピュータが人生をどう変えたのか。その原点を、ぜひお聞かせください。


ASAHIネット元代表取締役社長の草野貴之さんにお話を伺いました。

草野貴之さんプロフィール


東京大学工学部卒・同大学院修了。
UTMC(東大マイコンクラブ)で活動しつつ、パソコン通信BBSのMapletown Network運営や技術翻訳などに従事。
ASAHIネット入社後は技術開発を担当、2004~2005年に代表取締役社長。GNOMEやApache HTTP Server などOSSにも関与。

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ーーまずは、コンピュータに興味を持たれたきっかけから教えてください。

私の原点は、アマチュア無線を楽しんでいた父の影響で、機械が身近にある家庭環境にありました。決定的な出会いは、昭和54年(1979年)10月号の『CQ ham radio』誌です。そこにTRS-80を使った「ハムとマイコン入門」というプログラミングの記事があり、「これなら自分でもゲームが作れるんじゃないか」とワクワクしたのを覚えています。

本格的に勉強を始めたのは1982年。NHKの『趣味講座 マイコン入門』を見ながら、まだ実機がなかったのでキーボードの写真を見ながらタイピングの練習をしていました。

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NHKマイコン入門付録のキーボード写真 (画像は編集部加工)

ーー最初の一台は、どの機種を選ばれたのでしょうか?

1982年についに「PC-6001(パピコン)」を購入しました。当時はPASOPIAやPC-8001も候補でしたが、地元にあったマイコンショップへ行き、なんとなく面白そうだと感じたのが決め手でしたね。

当時は専用モニターなんて高価で買えませんから、家庭用テレビに繋いで使っていました。
雑誌は『月刊マイコン』や『RAM』、そして『ベーマガ(マイコンBASICマガジン)』が愛読書でした。

tkusano_PC6001 【私のパソコン履歴書】草野貴之さん(ASAHIネット元社長) PC-6001からASAHIネット社長へ。技術への好奇心が人生を切り拓く

NEC PC-6001 パピコン

ーー当時のエピソードで、特に印象に残っていることはありますか?

グラフィック機能での試行錯誤ですね。当時はオプションとしてタッチパネル( NEC PC-6051 )がありましたがとても買えず、モニターにサランラップを貼ってそこに絵を描き、それをなぞるように自作のグラフィックエディタでデータ化してカセットテープに保存していました。

PSG音源が搭載されていたので、楽譜を買ってきて音楽を鳴らしたり、
『うる星やつら』や『クリィミーマミ』『ナウシカ』などのドット絵を描いたり、雑誌に載っているFM-7用のプログラム(当時はBASICのLINE文で描かれたものが多かった)をPC-6001に移植したりもしていました。BASICもマシン語も理解はしていましたが周囲に詳しい人もおらず、本も高価だったので、そんなに深く使いこなしていたわけではないですね。

ーーその後、伝説の名機「X68000」との出会いがあったのですね。

はい。PC-6001が古くなりあまり使わなくなりましたので、本や番組だけで知識を蓄えているだけだったのですが、1987年にX68000が登場しました。あまりの衝撃に、シャープからカタログを取り寄せて、ペライチ(当初X68000のカタログはA4の1枚だった)なのですが、それを毎日眺めていました(笑)
つくば万博のために貯めていた貯金をすべて投じて、シャープの「X68000」を購入したんです。

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SHARP X68000 (カタログより編集部加工)

それまでのパソコンとは一線を画すデザインと性能に一目惚れでした。雑誌も『Oh!X』や『それゆけXファミリー』、満開製作所の『電脳倶楽部』も読んでいましたね。

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メーカー自ら出版していた (それ行け! X1・編集部加工)

文化祭で自前のX68000を展示した時のことです。『源平討魔伝』が大好きで、わざわざそのコスプレをして遊びに来てくれた女の子がいたんですよ。その光景は今でも強烈に焼き付いています(笑)

ーー大学進学でも、コンピュータが軸になっていたのでしょうか。

実は、東京大学を選んだ理由も「TRON坂村健先生がいるから」という、コンピュータへの興味が動機でした。受験で上京した際も、宿泊先のお茶の水から秋葉原へ走り、X68000用のOS-9を購入したほどです。結局、使いこなせはしなかったのですが(笑)

1989年に入学後は、伝統ある「UTMC(東大マイコンクラブ)」に入りました。そこではX68000だけでなく、FM-16βFM-TOWNSなど多くの機種に触れ、シャープの展示会やクローズドな技術イベントにも参加しました。また、大学の計算機センターでインターネット、サークルの部室ではパソコン通信を楽しみました。

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X68000向けへ移植されたUNIX的マルチタスクOS。GUIとコマンド環境を備え、開発用途でも人気を集めたが、普及は限定的だった。

OS-9/X68000のマニュアル (編集部加工)

富士通のビジネス機FM-16β (画像:I/O 1985/1 編集部加工)と、
富士通の32ビットホビーマシン FM-TOWNS(I/O 1989/6)

ーーパソコン通信の運営(シスオペ)としての活動も、その頃からですか?

ええ、1992年にUTMCの先輩が運営していた「Mapletown Network」というパソコン通信BBSのシスオペに任命されました。BBSのプログラムは完全オリジナルです。
またその頃、海外雑誌の『Computer Shopper』を見ては「アメリカはPCがこんなに安いのか!」と驚き、香港へ買い出しツアーに行ったこともあります。

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Computer Shopperは米国のパソコン専門誌。特に1992年頃は“電話帳並み”の分厚さで、数百ページにわたりPC本体やパーツ、周辺機器の価格広告がぎっしり掲載されていました。自作派や業者が最安値を探すための価格カタログ的存在でした。

1994年には、Mapletown NetworkとIIJ (インターネットイニシアティブ)をUUCP接続しました。パソコン通信からメールが送れるという、当時としては画期的なサービスです。
この接続費用は私のアルバイト代やカンパで賄っていましたが、一度設定ミスで月に10万円も請求が来たことがあって……あれは冷や汗をかきましたね(笑)。
そうして挑戦を重ねるうちに、大学院を修了する頃には貯金も底をつき、気がつけば借金生活。それでも、不思議と後悔はありませんでした。

ーーその情熱が、のちのキャリアに繋がっていくわけですね。

「ASAHIパソコンネット」というパソコン通信サービスとの縁があり、インターネット接続サービスへと⼤きく舵を切る際に「ASAHIネット」に⼊社しました。その後、2004年に代表取締役社⻑に就任することになりました。

振り返れば、マイコン、パソコン通信、そしてインターネット。常に新しい技術に触れ、それを使って「何か面白いことをしよう」と走り続けてきた人生だったように思います。


解説:東大マイコンクラブ (UTMC)とは

東大マイコンクラブは、1980年頃のマイコン文化の中で活動していた学生団体の一つで、プログラム開発や出版活動、マスコミへの出演など幅広い活動を行いました。今年で50周年を迎えます。
NECのPC-6001向けに制作されたアスキーのAXシリーズと呼ばれるゲーム集や、TAITOの「ちゃっくんぽっぷ」、I/O・コムパックのフライトシミュレーター「THE COCKPIT」にも関わっています。
また、雑誌の記事や技術書などの執筆にも関わり、当時のマイコン少年たちにプログラミングやゲーム文化を広める役割を果たしました。学生主体ながら、商業出版やソフト制作に大きな影響を与えた存在です。

AXSERIES 【私のパソコン履歴書】草野貴之さん(ASAHIネット元社長) PC-6001からASAHIネット社長へ。技術への好奇心が人生を切り拓く

AXシリーズの広告 (画像:アスキー 1982/9 より)

解説:PC-6001とは

  • 「パピコン」という愛称「パーソナル・ファミリー・コンピュータ」を略してパピコン。家族みんなで使える身近な存在を目指して名付けられました。
  • カラフルなデザイン当時としては珍しい、丸みを帯びたデザインとベージュのカラーリングが特徴です。キーボードも「消しゴムキー」と呼ばれる独特の質感(初期型)でした。
  • グラフィックとカラー最大4色(解像度によっては2色)という制限はありましたが、当時のホビー機としては十分な表現力を持っていました。

スペックの概要

現在のPCと比較すると驚くほどシンプルですが、当時はこれが最先端のホビー機でした。

項目スペック
CPUμPD780C-1 (Z80A互換) 4MHz
RAM16KB (最大32KB)
解像度256×192ドット / 128×192ドット
同時発色数最大4色
サウンドPSG (3重連奏)
発売年1981年
本体標準価格89,800円