【私のパソコン履歴書】西牧哲也さん(ココト代表、元ヤフーCTO)|MZ-80Kとインターネット黎明期
2026/3/1 RetroPC NEWS編集部
RetroPC NEWSでは、第一線で活躍されてきた皆さまが「どのようなコンピュータと出会い、どのように向き合い、そして現在に至ったのか」というお話を伺っています。
単なる機種紹介ではなく、その人の人生とコンピュータの関係を綴る「パソコン履歴書」という形で、伝えてまいります。コンピュータが人生をどう変えたのか。その原点を、ぜひお聞かせください。
第一回目は株式会社ココト代表取締役社長の西牧哲也さんにお話を伺いました。
西牧哲也さんプロフィール
1988年に日本データネット(現ソフトバンク)へ入社。ソフトバンク技研取締役やヤフーの最高技術責任者、執行役員を歴任し、日本のインターネット黎明期から技術部門を牽引しました。
その後、ヤフーカスタマーリレーションズ代表取締役などを経て、2016年より「株式会社ココト」の代表取締役社長を務めています。

MZ-80Kからインターネット黎明期まで
―― 最初に触れたコンピュータは何でしたか?
私が初めて触れたコンピュータは、先輩が持っていたNECのTK-80でした。
そして16歳のとき、高校生なのに宅配のアルバイトとかして、、
初めて自分で購入したのが、SHARP MZ-80K(定価198,000円)です。
当時は完成品ではなくセミキットで売られていました。キーボードを自分ではんだ付けするんですよ。
MZ-80Kにはデータレコーダーが内蔵されていたのですが、一般的な300bpsではなく1200bps。
4倍の速度です。当時としては画期的でした。(1200bps = 1秒間に150バイト)
SHARP MZ-80K
このマシンでBASICを学び、やがてアセンブラも覚えました。
プログラムを書くことそのものが、とにかく楽しかった。
―― どのように情報を得ていたのですか?
当時はインターネットがありませんから、情報源は雑誌です。工学社の I/O や、CQ出版社のトランジスタ技術 を毎号読んでいました。
誌面に掲載されたゲームプログラムを手入力して遊び、当然のようにプログラムの改造もしました。

工学社 月刊I/O

当時MZ-80Kは爆発的に売れシェアは50%に達するとも言われた。雑誌の記事も多い。
メモリも増設しましたよ。16KB(16Kbit DRAMチップ×8個)を44,000円で購入して拡張しました。今では考えられない価格ですが、当時はそれが普通でした。放電プリンターも買いました。
ハードウェアの改造も行い、ソフトもハードも両方いじるのが当たり前の時代でしたね。
当時の価格表。増設RAMの定価は44,000円。(画像: I/O 1979/8号より)
―― そのままコンピュータの道へ進まれたのですか?
せっかくコンピュータを学んだのだから、学校もコンピュータ関係に進もうと思いました。ただ、1980年頃はまだ大学に情報系学部はゼロで専門学校が中心でした。
専門学校に進みましたが、正直なところ、すでに自分で勉強していた内容ばかりでした。学校では一番できたので、少し物足りなさもありましたね。
就職後はプログラムを書ける会社に入り、NCR Corporation や IBM 、NECもあったかな?ミニコンのマシンで業務プログラムを書いていました。当時のミニコンは企業システムの中核で、COBOLやアセンブラなどを使っていました。
―― PC-9801との関わりは?
しばらく自分のPCは持たずに仕事に集中していましたが、かなり時間が経ってから EPSON PC-286 を購入しました。これはPC-9801互換機です。
当時は NEC PC-9801 向けの仕事が非常に多く、ビジネス用途では事実上の標準でした。PC-286の導入は、仕事の幅を広げる意味でも重要でしたね。

EPSON PC-286V
―― ネットワークとの出会いは?
1991年頃、会社でLANを構築しました。当時プロトコルは複数ありましたが、私はTCP/IPを選びました。理由は「オープンだったから」です。結果的にそれは正解でした。
配線は太い同軸のイエローケーブル(10BASE5)。ものすごくぶっといんですよ。

イーサネットのイエローケーブル、現代では使われていない (画像:Wikipedia)
当時、まだ創業間もない Cisco Systems のルータを導入しました。ユーザー番号は2桁目くらいだったと思います。Cisco の1イーサ・1シリアルのルータが約200万円。Cisco AGSに2〜3枚ボードを挿した構成で約400万円という世界でした。

Cisco AGSルーター。中にボードを入れて自在に拡張できる。 (画像:Ciscoホームページ・編集部加工)
1992年に インターネットイニシアティブ(IIJ)が設立され、日本の商用インターネットが動き始めます。当時はCIDRがまだ一般化しておらず、クラスフルアドレッシングの時代でした。
その後私は、ソフトバンクに転職し、ソフトバンク社をインターネットに接続しました。クラスBのIPアドレス(65,534個)を割り当ててもらえたのは本当に幸運でしたね。
―― メールサーバの構築も?
はい、sendmailの設定には苦労しました。当時は設定ファイルも難解で、トラブルも多かった。しかし、好きなことだったので苦にならなかったです。
結局、「好きになったものが勝ち」なんですよね。
(完)
MZ-80Kとは
SHARPが1978年に発売したMZ-80K。日本のパソコン黎明期を語る上で絶対に外せない「マイコン」をパソコンへと進化させた伝説の名機です。
オールインワンの先駆け
当時のマイコンは、本体、モニター、キーボード、データ記録用のテープレコーダーをバラバラに買いそろえ、複雑な配線をするのが当たり前でした。
MZ-80Kはこれらを一つの筐体にすべて詰め込んだ画期的なデザインでした。
- 10インチの白黒モニター
- カセットテープレコーダー(データ記録用)
- キーボード(独特なマトリクス配置)
この「買ってきて電源を入れればすぐ使える」スタイルは、当時のファンに大きな衝撃を与えました。
クリーンコンピュータという思想
MZ-80K最大の個性がこれです。通常、当時のマシンは電源を入れるとすぐに「BASIC」という言語が起動するようにROM(読み出し専用メモリ)に書き込まれていましたが、MZシリーズは中身は空っぽで出荷されました。
- 電源を入れた後、カセットテープからOS(BASICなど)を読み込ませる仕組み。
- メリット: 言語のバージョンアップが容易で、BASIC以外にもマシン語やPascalなど、ユーザーが好きなシステムに「染める」ことができました。
スペックと愛称
マシンの心臓部には、当時絶大な人気を誇った8ビットCPUのZ80が採用されています。当時は性能が高いCPUでした。
- CPU: Z80 (2MHz)
- 特徴: セミキット(半分組み立て済み)形式で販売されたモデルもあり、作る楽しみもありました。
- キーボードは碁盤目配置でした。
- 時刻表示や3オクターブの音を出すことが可能でした。
キーボードは碁盤のような配置だった(写真はMZ-80K2)





